世界的人気を誇るONE PIECEの作者、尾田栄一郎さんが九州東海大学を中退したのは1994年のこと!
多くのファンが知らない、この重要な決断の背景には一体何があったのでしょうか?
漫画家への夢を追いかけるために大学という安全な道を捨てた、その勇気ある選択の事実を調べてみました!
尾田栄一郎が九州東海大学を中退したのはいつ頃?
尾田栄一郎さんが九州東海大学工学部建築学科を中退したのは1994年のことと言われています。
入学から1年時での決断という、とても早い段階での進路変更でした。
この時期は、多くの大学生がまだ学生生活に慣れ親しんでいる頃であり、将来への不安も大きかったはずですね。
当時の尾田栄一郎さんは19歳という若さで、人生の大きな岐路に立っていました。
大学での建築学の勉強と、幼い頃からの夢である漫画家への道という2つの選択肢の間で悩んでいたことでしょう。
結果的に、彼は自分の心に従って漫画家への道を選び、大学を去ることになります。
この決断の背景には、高校時代からの漫画制作への情熱と、すでに手塚賞(新人漫画家の登竜門として知られる賞)で準入選を果たしていたという実績がありました。
大学生活を送りながらも、漫画への思いが日に日に強くなっていき、最終的に中退という選択につながったのです。
漫画家を目指すために大学を辞めた背景は?
尾田栄一郎さんが大学を辞めた背景には、幼い頃から抱いていた漫画家への強い憧れがあったとされています。
彼は4歳の時に漫画家という職業を知り、「大人になっても働かなくていいんだ」と思って漫画家を目指すようになったという純粋なきっかけから始まっているようです。
特に重要だったのは、高校時代の実績です。
1992年に東海大学第二高等学校在学中、「月火水木金土」というペンネームで投稿した短編「WANTED!」が週刊少年ジャンプの手塚賞で準入選を受賞しました。
さらに1993年には「一鬼夜行」がホップ☆ステップ賞で入選を果たすなど、既にプロとしての可能性を示していたのです。
これらの受賞経験は、尾田栄一郎さんにとって自信となり、漫画家として生きていける確信を与えてくれました。
大学での建築学の勉強よりも、漫画制作に時間を費やしたいという気持ちが日に日に強くなっていったのは当然の流れだったのかもしれません。
1992年:「WANTED!」で手塚賞準入選受賞
1993年:「一鬼夜行」でホップ☆ステップ賞入選
この2つの受賞が大学中退の大きな後押しとなった
中退後はどのような道を歩んだの?
九州東海大学を中退した尾田栄一郎さんは、すぐにプロの漫画家としての修行を始めたようです。
甲斐谷忍さん、徳弘正也さん、和月伸宏さんといった著名な漫画家のアシスタントを務めることで、現場での実践的な技術を身につけていきます。
このアシスタント時代は、尾田栄一郎さんにとってすごく重要な期間だったと考えられます。
特に注目すべきは、この時期に描いた読み切りの海賊漫画「ROMANCE DAWN」が、後の大ヒット作「ONE PIECE」の原型となったことです。
アシスタントとして働きながらも、自分自身の作品作りを怠らなかったことが分かります。
3人の漫画家のもとで学んだ経験は、それぞれ異なる作風や技法を吸収する機会となりました。
この多様な経験が、後のONE PIECEの豊かな表現力や独特な世界観の構築に大きく影響していることは間違いないでしょう。
そして1997年、ついに週刊少年ジャンプでONE PIECEの連載が開始されることになります。
大学中退という選択は正しかったのか?
結果論になりますが、尾田栄一郎さんの大学中退という選択は、間違いなく正しい判断だったと言えそうです。
ONE PIECEは2022年8月時点で世界累計発行部数5億1000万部を突破し、「最も多く発行された単一作家によるコミックシリーズ」としてギネス世界記録に認定されています。
もしも尾田栄一郎さんが大学を卒業して建築の道に進んでいたら、この世界的な作品は生まれなかったかもしれません。
もちろん、大学中退という選択には大きなリスクも伴っていたはず。
漫画家として成功する保証はなく、将来への不安も大きかったことでしょう。
しかし、彼の場合は幼い頃からの一貫した夢と、高校時代の受賞実績という裏付けがありました。
さらに、中退後すぐに著名漫画家のアシスタントとして実践的な修行を積むという明確な計画もあったようです。
これらの要素が組み合わさることで、リスクの高い選択を成功へと導いたのです。
おもしろいことに、建築学科で学んだ知識も完全に無駄になったわけではないかもしれません。
ONE PIECEには様々な建築物や都市が登場しますが、これらの描写には建築学的な知識が活かされているという見方もできるのです。
夢を追いかける勇気が生んだ奇跡の物語
尾田栄一郎さんの大学中退から世界的漫画家への道のりは、まさに夢を追いかける勇気が生んだ奇跡の物語だと感じます。
1994年という若干19歳での大胆な決断が、今日の大成功につながっているのはホントに素晴らしいことですね。
彼の選択は、好きなことに人生を懸ける大切さを教えてくれる貴重な事例といえるのです。
ONE PIECEファンとしても、この決断があったからこそ愛する作品に出会えたのだと感謝の気持ちでいっぱいになります!