カーネーションを手に取りながら「そういえば母の日っていつから始まったんだろう?」なんて思ったことありませんか?
実は母の日も父の日も、日本で生まれたイベントではないんです。
どちらもアメリカから伝わってきた習慣で、日本に定着するまでには意外な歴史があります。
母の日がなぜ5月で父の日が6月なのか、その理由も含めて調べてみました!
母の日はアメリカの少女から始まった
母の日の始まりは、1907年のアメリカにあります。
フィラデルフィアに住んでいたアンナ・ジャービスという女性が、1905年に亡くなった母親を追悼して、教会で白いカーネーションを配ったのがきっかけでした。
アンナは「生きているうちにお母さんに感謝を伝える機会を作るべき」という思いから活動を始めたんです。
この活動がアメリカ全土に広がり、1914年には当時のウィルソン大統領が5月の第2日曜日を国民の祝日として制定しました。
アンナの母親が好きだった白いカーネーションが母の日の花として定着したのも、この時からです。
📌 母の日にカーネーションを贈る理由
母が健在なら赤いカーネーション、亡くなっていれば白いカーネーションを贈る習慣が生まれました。
カーネーションの花言葉「母の愛」「純粋な愛」も、母性愛を象徴する花として選ばれた理由の一つですね。
父の日は母の日があるなら父の日もという発想
父の日も同じくアメリカで生まれました。
1909年、ワシントン州のソノラ・スマート・ドッド(ジョン・ブルース・ドッド夫人)という女性が、母の日の話を聞いて「母の日があるなら父の日もあるべき」と考えたのが始まりです。
ソノラは母親を早くに亡くし、父親が男手一つで6人の子供を育て上げたという体験から、父親への感謝を伝える日の必要性を感じていました。
翌1910年の6月19日、初めての父の日が開催されました。
6月に設定されたのは、ソノラの父親の誕生日が6月だったからです。
ただし、父の日が正式にアメリカの祝日として認められるまでには長い時間がかかりました。
母の日が1914年に制定されたのに対し、父の日が正式な記念日となったのは1972年のことです。
💡 父の日の花はバラ
ソノラが亡くなった父親の墓に白いバラを手向けたことから、存命中の父には赤いバラ、亡くなった父には白いバラを贈る習慣が生まれました。
日本では意外な経緯で広まった
母の日が日本に伝わったのは明治時代の終わり頃で、大正時代にキリスト教関係者の間で広まっていきました。
面白いのは、昭和に入ってから皇太后の誕生日である3月6日を母の日として制定した時期があったことです。
でも、この3月の母の日はあまり普及しませんでした。
✅ 母の日が全国的に広まったきっかけ
1937年、森永製菓が「森永母の日大会」という大々的なイベントを開催したことで、全国的に知られるようになりました。
戦後の1947年に、公式に5月の第2日曜日が母の日として定着したんです。
一方、父の日が日本に伝わったのは1950年頃とされています。
実際に日本で定着したのは1980年代になってからで、母の日よりもずっと遅い普及でした。
🔧 日本の父の日の特徴
1981年に設立された「日本ファーザーズ・デイ委員会」が「父の日黄色いリボンキャンペーン」を開始。
このため日本では、アメリカのバラではなく黄色いバラを贈る習慣に変わりました。
現在の母の日・父の日は世界共通ではない
調べてみると、母の日も父の日も国によって日付が違うことがわかりました。
📌 各国の母の日・父の日の違い
・韓国では母の日も父の日も5月8日
・台湾では父の日が8月8日(「88」の発音が「お父さん」に似ているため)
・オーストラリアでは父の日が9月の第1日曜日
贈り物も国によって違いがあります。
韓国では現金や商品券が喜ばれ、オーストラリアでは菊の花を母の日に贈るんだそうです。
でも、どの国でも「親に感謝を伝える」という気持ちは共通していますね。
アメリカ生まれの感謝の文化が日本に根付いた
母の日も父の日も、どちらも日本起源ではなくアメリカで生まれた習慣でした。
一人の女性の「親への感謝を伝えたい」という純粋な気持ちから始まったイベントが、今では世界中で愛される文化になっているのは素敵ですよね。
日本では森永製菓のイベントがきっかけで母の日が広まり、父の日は黄色いバラという独自の文化に発展しました。
来年の母の日・父の日には、この歴史を思い出しながら感謝の気持ちを伝えてみてください!